(この素晴らしい証が
グドール ジェラルドから届きました。)
二年位前の3月、ジェリー牧師から「疲れた顔をしているね」と言われました。自分でも精神的な疲れはかなり感じていたので、その後思い切って精神科の病院に行ってみると、医者から「うつですね」と診断されました。その頃から「うつ」と「燃え尽き」との苦しく暗い闘いが始まりました。ここに、「うつ病」と「燃え尽き症候群」からの回復の体験談を書かせていただきます。「うつ病」や「燃え尽き症候群」とは無縁だとお思いの方も、私の回復に役立った「ソーキング」の効能をぜひ知っていただきたいので、お読みいただければ幸いです。また、「ソーキング」だけがうつや燃え尽きに有効であると言おうとしているのでもありません。これからも謙虚になって、聖書や精神医療から学んでいくべきであると感じています。日本のうつ病患者数は近年増加し、潜在患者数は一千万超とも言われています。そのような中で、うつ病や燃え尽き症候群から一人でも多くの人が回復することを願ってこの文章を書いています。
人を避ける
私はうつと診断されてからも仕事や教会での奉仕は続けていました。しかし、うつ病の典型的な症状である、「人を避けたくなる」ことがよくありました。教会に行っても一番先に考えることは「どうやったら早く家に帰ることが出来るか」でした。一番いやなときは礼拝の最初にみんなで互いにあいさつをし、握手をするときでした。教会の祈り会などで礼拝している時に、主の臨在で感動しているように見える人がたくさんいても、自分は何も感じない、ただ頭が痛く、疲れるというようなことが何度もありました。でも、何も感じなくても主の臨在に浸り、ほかの兄弟姉妹たちと集まることだけはやめたくなかったので、集い続けました。
仕事に行けなくなる
職場であるCFNJ聖書学院に行っても、服用していた抗うつ剤の副作用などで眠たくなったり、薬の作用とは別に、やる気が全くなくなることがよくあり、一日のうちに1,2時間横にならなければならないことがしばしばありました。平日に一日の休みをとっても回復することはありませんでした。2010年8月にはついに休職することにしました。9月から10月にかけて、転地療養のためにアメリカテキサス州ダラスにあるCFNI聖書学院のキャンパスに滞在することにしました。CFNIにいる間に、そこで学んでいる娘と息子に会うことが出来たり、いやしのセミナーにでたり、指導者のカウンセリングを受けたりするという恵まれた時を過ごすことが出来ました。このアメリカ訪問で得たことはソーキングを始めて、元気が回復し始めてからとても力になりました。しかし、日本に戻ってきた後も、すぐには回復せず、だんだん希望ややる気がなくなり、沈んでいく日々が過ぎていきました。
「私の安息に入りなさい」
そのような日々の中、11月中旬のある日曜日、私が通っているのと同じICF教会の佐藤ケイトさんからメールをいただきました。それはまとめると大体次のような内容でした。「主に祈っている中で、あなたに次のようなことばを主が語っているように感じました。『私はあなたを回復する。しかしあなたはまだ準備ができていない。あなたは、「なぜこのようなことが自分に起こるのだろうか」と言っている。しかし私はあなたに言う。「あなたは私の安息日をやぶった。それを守らなかった。今私の安息に入りなさい。時間を取りなさい。普段していることを離れて私のもとに来なさい。私の顔を慕い求めなさい。緑の牧場に伏しなさい。私があなたのたましいを生き返らせます。私はあなたをいやす主であるから。」』
私はこのメールを読んですぐにぴんと来ました。そうだ、自分は今まで神様が約束してくださっている安息を大切にしていなかった。一番大事な、神様と時間を過ごすことをおろそかにしてきた。今こそそれを実践しなければならないと感じました。
それと同時に、ケイトさんのように自分のために祈ってくださっている多くの方々の祈りがあることを覚え、深い感謝の念を感じました。(私のために祈っていてくださった方々に感謝します!)
ソーキングを始める
ケイトさんからメールをもらった次の日から早速ソ-キングを始めました。ソーキングについては何年か前に、日本中の牧師たちが集まる「教役者大会」で紹介され、少しやったことはあったのですが、毎日継続して行うことはありませんでした。
「教役者大会」の講師の一人であった、カナダ・トロントの教会の牧師夫人のアリソン・ジョーンズさんが自らの証しで、ソーキングを通して心のいやしの大部分を体験したと言っていました。ソーキングとは、「浸ること」という意味で、主の臨在に浸ることを意味します。主の臨在に浸ると言ってもいろいろな方法があるでしょうが、アリソンさんが教えてくれた方法は下記の通りです。
①横になるこのように教えていただいたことを思い出して、私は自分にとって都合の良い夜の8時頃からソーキングを始めました。まずは、主の安息日をやぶったことを悔い改めました。(これは、土曜日や日曜日という「日」を安息日として守っていないということではなく、「主との安息の時を持っていない」ということの悔い改めでした。心と体を休め、主の御業(創造と救い)の完成を覚え、主が休まれたように休むことは今日もとても大切です。)そして主に回復を求めました。
床の上でもいいし、ベッドの上でもいいと言われました。ダビデが詩篇23:2で、「主は私を緑の牧場に伏させて」下さると言った通り、文字通り横になって、主が下さるものを受け取りなさい、と。これは体力も弱っていた私には朗報でした。眠たくなって、寝てしまってもいいんですよと言われてなお励まされました。寝るためにやるわけではないのですが。
②イエス様にフォーカスする
その日の事をイエス様に言ってもいいし、ストレスを感じている事をそのままイエス様に言ってもいい。とにかく、思いをイエス様に向ける。
③聖霊様を歓迎する
「聖霊様の願われることをしてください」と祈って、聖霊様を歓迎する。神様のなさりたいことをなさりたいようにしていただくことが大切。主にその時々の進行を導いていただく。アリソンさんは、「心が取り扱われる時もあれば、天的な事を見せていただく時もあります」、あるいは、「主が愛のことばをささやいて下さる時もあります」と言っていました。
いつやったらいいのかという問いに対してアリソンさんは、「毎日がいいですが、特に渇いている時、燃え尽きた時、疲れている時、何もささげるものがない時にするといいです」と言っていました。
最初は思いを集中するのがむずかしく、思いがあちこちに散ってしまいました。しかし、何よりも自分の心(聖書的な言い方では「たましい」)の回復を切望していたので、心の中で何度も「たましいを回復させてください」と祈りました。いくつかの聖書の言葉を思い出しては、それを祈りました。
たとえば、ローマ8:6です。「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」うつ病には色々な意味で「死」が付きまといます。ですから死はもういりません。何よりもいのちと平安を求めました。
●詩篇23:3「主は私のたましいを生き返らせる」とありますから、何度もこれを祈りました。
●イザヤ40:31「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」これは有名な聖書の箇所で今までに何度も聞いてきましたし、歌ってきました。ですから、横になりながら、目を閉じて聖書が開けなくても、大体暗記していますから、このみことばをじっくり思い巡らし、祈りに変えることが、少しずつ出来ていきました。
このように毎日ソーキングを1時間から1時間半ずつ位続けていくうちに、少しずつ自分の内側が回復して来るのがわかりました。霊的に神様との関係が回復してくると、精神的な領域も回復し始めました。少しずつ希望が戻ってきました。やる気が出てきました。喜びが湧き上がってくるようになりました。人と接したくなってきました。
神様の恵みとあわれみによって2011年を希望のうちにスタートすることができ、職場にも復帰することが出来ました。ソーキングはうつや燃え尽きからの回復のためにとても役立ちましたが、そこで終わりません。ソーキングは人間にとって最も基本的に必要である「神に聞き従う」ことのためにとても助けになります。そして主の私たちに対する愛を知り、主をさらに深く知るためにとても良い方法です。
詩篇40篇
ソーキングを始めて2週間位たった頃に、詩篇40篇を読み、今自分がこれを体験させていただいているなと感じました。
1節「私は切なる思いで主を待ち望んだ。」
ソーキングはまさに「主を待ち望む」行為です。
「主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、」
何者でもない自分のほうに神様ご自身がわざわざ「身を傾けて、叫びを聞いてくださっている」ことがだんだんわかるようになり、感謝に絶えませんでした。
2節「私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。」
うつはまさに「穴」であり、「泥沼」です。主がそこから私を引き上げてくださったのです!
「そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」
ソーキングを通して主の臨在に浸り続けることによって、自分がだんだんしっかりするようになり、歩みが確かになっていきました。
6節「あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお 喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。」
ソーキングによって聖書の色々な箇所が心に深く響くようになり、主が私の心に語りかける言葉が以前より明瞭に聞こえるようになりました。主が「私の耳を開いてくださいました。」
7節「そのとき私は申しました。『今、私はここに来ております。巻物の書に私のことが書いてあります。』8節「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
ソーキングをするようになってから同時に主の十字架のことを以前より深く思い巡らすようになりました。主からこう言われているように感じました。「私はあなたのためにいのちを捨てました。あなたは私に何をささげますか?」と。主の自分に対する愛がわかればわかるほど、喜んで自分のいのちを主にささげたくなります。
「ソーキング」という言葉を最初に使うようになったトロントの教会は、15年以上続いている刷新の働きが保たれてきた秘訣はソーキングにあると言います。もちろん主の臨在に浸る方法は他にもありますのでソーキングだけが有効だということではありません。しかし、私は自分の体験からこれがとても有効であると言うことが出来、ぜひソーキングをお勧めしたいと思います。下記にソーキングに関する説明やみことばの根拠、ソーキング・ミュージックについての説明を書きます。ぜひお読みください。
今後も、恐れの克服や、うつや燃え尽きに関して教えられたことなどを書き加えたいと考えています。この文章を読むあなたに主の助けといやしがあることをお祈りしています。これらのことに関して何かのお役に立つことが出来れば幸いです。
神様の恵みとあわれみによって2011年を希望のうちにスタートすることができ、職場にも復帰することが出来ました。ソーキングはうつや燃え尽きからの回復のためにとても役立ちましたが、そこで終わりません。ソーキングは人間にとって最も基本的に必要である「神に聞き従う」ことのためにとても助けになります。そして主の私たちに対する愛を知り、主をさらに深く知るためにとても良い方法です。
詩篇40篇
ソーキングを始めて2週間位たった頃に、詩篇40篇を読み、今自分がこれを体験させていただいているなと感じました。
1節「私は切なる思いで主を待ち望んだ。」
ソーキングはまさに「主を待ち望む」行為です。
「主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、」
何者でもない自分のほうに神様ご自身がわざわざ「身を傾けて、叫びを聞いてくださっている」ことがだんだんわかるようになり、感謝に絶えませんでした。
2節「私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。」
うつはまさに「穴」であり、「泥沼」です。主がそこから私を引き上げてくださったのです!
「そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」
ソーキングを通して主の臨在に浸り続けることによって、自分がだんだんしっかりするようになり、歩みが確かになっていきました。
6節「あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお 喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、お求めになりませんでした。」
ソーキングによって聖書の色々な箇所が心に深く響くようになり、主が私の心に語りかける言葉が以前より明瞭に聞こえるようになりました。主が「私の耳を開いてくださいました。」
7節「そのとき私は申しました。『今、私はここに来ております。巻物の書に私のことが書いてあります。』8節「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」
ソーキングをするようになってから同時に主の十字架のことを以前より深く思い巡らすようになりました。主からこう言われているように感じました。「私はあなたのためにいのちを捨てました。あなたは私に何をささげますか?」と。主の自分に対する愛がわかればわかるほど、喜んで自分のいのちを主にささげたくなります。
「ソーキング」という言葉を最初に使うようになったトロントの教会は、15年以上続いている刷新の働きが保たれてきた秘訣はソーキングにあると言います。もちろん主の臨在に浸る方法は他にもありますのでソーキングだけが有効だということではありません。しかし、私は自分の体験からこれがとても有効であると言うことが出来、ぜひソーキングをお勧めしたいと思います。下記にソーキングに関する説明やみことばの根拠、ソーキング・ミュージックについての説明を書きます。ぜひお読みください。
今後も、恐れの克服や、うつや燃え尽きに関して教えられたことなどを書き加えたいと考えています。この文章を読むあなたに主の助けといやしがあることをお祈りしています。これらのことに関して何かのお役に立つことが出来れば幸いです。
主にあって、
グドール ジェラルド
2011年1月31日
グドール ジェラルド
2011年1月31日